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秋元征紘のコラム

先達の実践に学ぶ
2. ロジャー・エンリコ/ペプシ・コーラ
ビッグアイデア、新結合による創造的破壊


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「コーラ戦争に勝った」と「ビッグアイデア」

「1985 年、コカ・コーラ社はアメリカそのものと言われた原液の調合を変更した。そして3ヶ月後、消費者の批難の嵐の中で、従来のものを再び市場に戻した。ビジネス史上に残るこの誤算は、ペプシが執拗に繰り拡げた挑戦がもたらしたと言われる。本書は、No.2のペプシがいかにしてNo.1になったか、消費者の心の掴み方、社員のやる気の引き出し方を、ペプシ社長が詳細に明かすものである。」

以上は、R.エンリコ/J.コーンブルース著、常盤新平訳、1987年新潮文庫版「コーラ戦争に勝った!ペプシ社長が明かすマーケティングのすべて」(The Other Guy Blinked, How PEPSI won the cola war.)のバックカバーのコピーです。

1986年秋、R.J.Rナビスコ社の子会社であったKFC社は、清涼飲料に加え、フリト・レイを中心としたスナック部門と、ピザハットとタコベルで構成される外食部門を有していたペプシコ社に買収されました。実はこの時、オーストラリア留学時代のオーストラリアの友人の紹介で、日本ペプシ・コーラの副社長のオファーが在りました。しかし、ペプシ・コーラは、コカ・コーラの34%という圧倒的な市場占有率に対し、2-3%のシェアーでNo.2にも届かず、過去に何社かのボトラーを倒産させており、困難が明らかに予想されるこの仕事は断る予定でいました。

しかし、まさにその時にペプシコによるKFC社の買収が発表され、新たなKFC社の株主として来日した、ペプシコ社のドン・ケンドール会長やウェイン・キャロウェイ社長兼CEOに、三菱商事の役員室で直接説得されることになってしまったのです。そして私は、ロジャー・エンリコ社長以下の首脳陣との面接の為に、ニューヨークの北ホワイトプレーンのペプシコ本社を訪れることになりました。この旅の間に偶然目に触れたのがこの「The Other Guy Blinked.」(英語版)だったのです。

KFCにおけるマーケティングの経験の後ということもあり、日本ペプシ・コーラへ副社長として出向した私は、この本の内容もさることながら、戦略エリート集団であるペプシ・コーラによる戦略的なビジネス展開と、「ビッグアイデア」による革新的で創造的なアイデアを戦略に結実させる能力を有する、同世代のエンリコ社長のカリスマ的経営手法に、単純に感動することになりました。

「新しい世代の選択」(Choice of New Generation)の戦略は、マーケティング史上多くの議論を呼んだ、比較広告としての「ペプシの挑戦」(Pepsi Challenge)の延長線上にありました。このキャンペーンは、当時、人気絶頂期にあったマイケル・ジャクソンを500万ドルの制作費を費やしてテレビ・コマーシャルに起用、その撮影中にマイケルが火傷をおうという事件があったこともあり大変な話題となりました。さらに「ビリー・ジーン」、「スリラー」といったヒット曲や、従来には存在しなかった劇的な印象とそして優れた 音響効果と視覚効果を可能にする巨大な構築物としてのステージ、超一流のバックコーラス、ダンサーとバンド、そしてあのマイケルしか出来ない「ムーン・ウォーク」とダンスと歌、音楽で構成された「ビクトリーツアー」と銘打った全米コンサートツアーは全米の若者を魅了させ、大ブレークしたのです。

この「ビッグアイデア」に支えられて、コカ・コーラが「ニューコークの大失態」を演じている間に、ペプシの「新しい世代の選択」のキャンペーンは、より強烈なメッセージとして全世界の消費者・社員・ボトラー・ルート営業員・サプライヤーにペプシのイメージを強く印象付け、関係した人々の気持ちを一つのものにし、一般消費者を巻き込む形で大成功を遂げました。こうしてペプシは米国コーラ市場のシェアーでコークを抜き「アメリカ市場に於けるコーラ戦争」に勝利したのです。


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日本市場におけるコーラ戦争

そしてアメリカでのビクトリーツアーの大成功後1年近くもの間、更に数百万ドルの制作費が投入されたにもかかわらず、完璧主義ゆえにマイケル・ジャクソンがそのリリースを拒んでいたテレビ・コマーシャルの放映と、「ザ・バッド」(The Bad)のLPレコードと当時の新メディアのCDの販売が、世界市場に先駆け、日本での14回にわたるコンサートツアーとほぼ同時に開始される運びとなったのです。

翻訳の段階から協力してきた出版社との綿密な打ち合わせと、発売3ヶ月前に来日したロジャー・エンリコと常盤新平氏の記者会見を経て、常盤新平訳「コーラ戦争に勝った!ペプシ社長が明かすマーケティングのすべて」は発売されました。私のアイデアで、エンリコ社長を説得し記者会見に合わせて制作された、この本の中に登場するペプシのテレビ・コマーシャルに日本語訳をスーパーインポーズしたビデオが、本とセットにして用意され、あらゆる媒体に計 1,500セット配布されました。多くのテレビ局はそれをそのまま放映し、「イレブンPM」といった番組を始め、多くのテレビ番組に、しばしば私が登場することになりました。

マイケルのコンサートの会場となった、ビッグエッグとして改装される前年の後楽園球場、横浜スタジアム、さらに今では無くなってしまった西宮球場では、コカ・コーラとの間で営業スペースや内容について常に小競り合いが起き、スポーツ各紙は「コーラ戦争の勃発」を大きく報道ました。極め付きは、マイケル側の音楽監督を動かし、彼の「舞台芸術上の理由」によるものとして、横浜スタジアムの巨大な特設ステージバックにあったコカ・コーラのスコアボードのネオンサイン全面を、黒い布製の幕で全て覆わせたことです。勿論、これは各メディアで大きく報道され、かつてKFC時代の仲間であったコカ・コーラ関係者を激怒させました。

この結果、本は28万部ほど売れ、テレビ各局・スポーツ各誌は連日「コーラ戦争」を報道し、ブランドの認知は飛躍的に上昇、ペプシ・コーラの売上は、前年費40%増という記録的売上となったのです。

しかし、同時進行中の、日本に於いて中・長期的にコーラ戦争に勝利するための戦略計画、つまりNo.1になる為の計画は、多くの場合一流大学のMBA出身者で、マッキンゼーあるいはプロクター&ギャンブルに代表される経営コンサルタントやマス・ブランドのマーケティングディレクター経験者が大勢を占める、頭脳明晰ではあるが、日本の現状を理解しようとせず、アイデアの提案力に乏しく、実務に於ける成功経験もない、ただ詭弁を労し功を争うだけの、甚だ官僚的で政治的なエリート達の、傲慢で政治的な思惑の中で頓挫しかけていた2年目が終わらんとした時、私は古巣の東証2部の上場の準備を始めていた日本KFCに戻ることになりました。


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  代表 秋元征紘が
  ジャイロ経営をご説明します。